【断捨離日記】物との依存関係
フリマサイトの使用をやめて
不要になった物を寄付や人に譲ったり処分したりをくりかえしていたところ
臨時収入やいただきものなどが続き、ラッキーと思っていたのですが
もともとやりくりがしっかりできておらず、急遽金策に走らなくてはいけなくなり
断捨離でもスルーしていた趣味の物に着手する事になりました。
以前から写真を撮って人から喜ばれることがうれしくて
いつかそれで食べていけるようになりたいと
高額なレンズを購入したのですが
結局それに見合うような努力もほとんどしないまま
箪笥の奥に綺麗にしまっていました。
これを手放したら、自分の道や可能性も手放してしまうようで
数日悩みました。
また、もっと頑張っていたら今頃このレンズでお金を稼げていたかもしれないのにと情けない気持ちにもなりました。
ですが、手放そうと思った当日、私はこのレンズが無いと人から認められたり喜ばれるような写真を撮る事ができないとずっと思っていたことに気づきました。
写真を撮り始めたのは学生時代のインスタントカメラで、どんな風に撮れているかわくわくしながら現像を待ったり
はじめて持ったデジタルカメラは沢山撮れる事に感動したり
一眼レフを手に入れた時は様々な表現手法で気に入った写真が撮れると本当に楽しかった。
いつしか周りにできたカメラ仲間と競い合うようになっていき、もっといい写真を撮るためにはレンズを買わないとダメだという結論にいたり
結果、簡単に自分の思っていた以上の写真が撮れるようになりましたが
いつしか人から喜ばれても、いいレンズ使っているから当然と思うようになっていった事を思い出しました。
なので、レンズを手放したらもうおしまいだと思っていたのだと思います。
レンズとの関係が「依存」になっていると気づきました。
私はこれを持っていなくても大丈夫。
人より良い写真を撮りたかったわけじゃない
自分よりほかの人が高く評価されて、自分が必要とされなくなる事への恐怖から
自分の現在位置がわからず
無尽蔵に高い目標をかかげ、やる前から無理だとあきらめていたのだと思います。
手放すレンズを外し、もともと持っていた標準レンズをカメラに着けた時
とてもしっくりきました。
これまで自分自身の事も、これじゃダメなんだって否定していたような気がしました。
そうじゃなかった、ここがスタートなんだという清々しい気持ちになりました。